新編SF翻訳講座
- 作者: 大森望
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2012/10/05
- メディア: 文庫
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なんとはなしに、SFを読もうと思っている。本屋にいってハヤカワのSFの文庫棚の前に立つことが多くなった。表紙がかっこいいのもあるし、タイトルがいかすものが多い。それで最近タイトルがとても気に入った『月は無慈悲な女王様』を英語の勉強だと思ってPaperbacksで買った。原題は"The Moon is a Harsh mistres"。
それで、SFの名作たちをガシガシ読んでいけばいいんだろうけど、エッセイとか軽めの本を読みたいという思いもあって、大森さんを知らないのだけれど買って読んだ。
翻訳の問題というのは、学術的な翻訳においても、文学作品の翻訳においても、そしてエンターテイメントのジャンルにおいても難しい問題である。いままでは、どちらかといえば学術的、文学的な分野での翻訳の問題、とりわけ翻訳の不可能性みたいなものを問題として思っていたけど、この本にあるエンターテイメントにおける翻訳はもっと、問題が明確化されていて、切実な問題がかかれている。
英文の翻訳における基本的なテクニック(私とか彼とか彼女とかをうまく省略するとか)が書かれているだけでなく、いかにウケるように翻訳するのかという心意気について主に書かれていると思う。
英文の翻訳する際には、日本語はとても自由度が高い言語である。なになに調で翻訳するのか。なに弁で翻訳するのか(関西弁への翻訳はSFでは時々使われる手法なんだろうか)といった選択はひとえに翻訳者の手に委ねられている。そして筆者は、作品をおもしろくできているならば、もちろん作者の意図を越えるような演出はルール違反と断った上で、冒険をすることも可なりということを実践的に説明している。
SFの翻訳においては、単語ひとつとっても、英語をカタカタに翻訳する場合や日本語に置き換えながらルビでおぎなったり(ラカンの『テレビシオン』という翻訳はひどいルビだったのを思い出しつつ)とそれだけで、味わいが異なる。『ニューロマンサー』なんかは、独特な単語を見事に日本語に置き換え独特な文体を作り上げているとその例に挙げられている。
- 作者: ウィリアム・ギブスン,黒丸尚
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1986/07
- メディア: 文庫
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生田耕作のエッセイでは、翻訳はテクニックではなく、職人技みたいなもので、いくつも経験を重ね、たくさんの勉強しないとできないもんだといったことを言っていたいのを思い出しながら(確かに生田耕作の翻訳は、他の翻訳とは一線違う読みやすさがある)、この本でも語られる、みんなが知らないSFをぜひ紹介したい、読んでもらいたいという情熱によって、成立する職業であるのだと書かれており、もっと翻訳者のことも考えて、味わって本をよまないといけないと感じた。
あとは、SF翻訳者の生態などが書かれていたりと楽屋裏話や、実際に翻訳者になるためには、といったとても実践的なことも書かれていて勉強になった。
SFの翻訳が時代とともに(作品の内容にもよるけど)時代遅れにならざるえないと書かれていたのも興味深く、たしかに技術の進歩(IT用語などが人口に膾炙したのちでは、古めかしい言葉になってしまったり)、ギャル語のような流行の言葉を使えば賞味期限が早くなるかわりに、その当時にはとてもしっくりくる翻訳ができたりと、いろいろ悩ましい問題もあるけど、その時にあわせて、なんども翻訳が繰り返されていくものであるのかと、言葉の移り変わりについて考える。