monomadoのブログ

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大阪アースダイバー

大阪アースダイバー

大阪アースダイバー

 

 中沢新一の人類学的な方法論であるアースダイバーという手法によって語られる大阪の文化的な地層。

 大阪に住むようになって、大阪の神社に初詣に行くようになって久しい。ぶらぶらすることがあると、電車でいく繁華街以外の大阪が古い文化地層の上にあり続けていることをしばしば感じるところで、そうした感覚を裏付ける話が書かれている。

 大阪はかつて大きな潟であり、そこには時間をかけて島々が中洲から発生し、都市となるに相応しい地理的な要因の上で誕生していくさまが描かれていく。

 とりわけ、最初に重要な場所は生駒山麓の河内と、上町台地だ。上町台地においては権力、政治をしめすアポロン軸がしかれ、東西に四天王寺から河内、生駒にむかっていくディオニュソス軸がまず取り出される。注目されていくのは、このディオニュソス軸から生まれる、いまの大阪の文化の読み解きになるのだろうか。

 大阪のお笑い、大阪のおばちゃん気質、そして船場の商人の気質、これはらアースダイバーによれば、大地の声を聞き知ったものが集まり、そうなっていったかのような、地理的に香り立つ根拠をもっている。

 お笑いはかつて、墓場と処刑場があった千日前から。死と笑いの近さは、私ならバタイユ的といいたくなるような、辺縁にあるものである。そして、それが墓場や処刑場であった千日前においておこったことは然るべくして起こったことであると、土地との関連で世界を読み取るしかたは、自分が漠然と感じ取っていたものを言葉にして明確化されていく快感があった。

 とりわけ、ラブホテルと墓場というテーマは、中沢によれば、日本において全国各所で見られるものであるが、とりわけ谷町九丁目の生國魂神社周辺の墓場、神社、寺の混淆した場所に顕実にあらわれている。その異様でもあるような光景に、中沢は近松門左衛門の死へと向かうカップルの姿を思い浮かべているが、僕はそれだけではないと思っている。

 ただ、このテーマに関しては、都築響一のラブホテルや、秘宝館の写真集なんかを眺めているときにも感じた、あの滑稽で、真剣で、何か穴蔵の中に逃げ込んだような安心感と同時に、ここに長くはいてはならないといった危険な感覚が、すなわち死と笑と性が混濁した世界であること、すなわちガス抜きされる前の聖なるものを感じていたのであると納得する。

 想像は続く。神社と墓場とラブホテルは、同じ種類のものであるのだと断言してもいいとすら言える。死がもつ、この感覚が、どこか大阪には常にあると思う。どこかにしゃあないという感覚があり、それは死を前にした、ある覚悟と諦めの間にあるような感覚なんだと思う。このテーマについて、いまいちど、深く考えてみたいと思い始めるきっかけとなる。自分もこの大阪から始まる郷愁のようなこの人間臭い感覚について、その感覚の謎を追いかけたいと思う。

 それは、いくつかの僕の大阪のイメージから始まるなにか怖い、そして憧れであり、なんども反復されるイメージだ。それは、マルボロの広告がかかる難波の大阪地下街であったり、大阪の昔のテレビCMであったり、百貨店の屋上であったり、味園ビルのネオンであったりするようなイメージである。

 整理できるのかわからないが、こうしたイメージの根源にあるものを調べてみることにしたいと思った。

 

 あと、これは見事という分析が、岸和田のだんじり=捕鯨船説。これはすばらしい解釈だ!と思う。