monomadoのブログ

本を買う話とか、読んだ本の話とか。あと時々、旅行の話を。

植草甚一の収集誌

植草甚一の収集誌 (シリーズ 植草甚一倶楽部)

J・J氏こと植草甚一さんは、その自由で型破りであることにより、いろんな側面をもつ人だ。
ジャズの人、映画の人、ミステリーの人、そして散歩とコーヒーと、古本の人だ。

この本は、街歩きの中でJ・J氏がであった面白いもの、街を散歩することで面白いものに出会った話が集められている。
古本を買って、喫茶店に入って、今しがた買った本を開く瞬間が一番楽しい、というスタイルは古本屋を見て歩く人が自然とするであろう行動よ喜びなんだと思うけど、そういう楽しさについて、何度もよく語られている。

「おやおや、女みたいな趣味になってきたぞ」ではショーウィンドウを覗いたり、百貨店なんかを歩いていて気に入ったスカーフなんかを買う話。週末なんかに僕も繁華街にあてどもなくでかけたりするけど、こんな風に店屋を眺めて、店の品物、店の人と付き合っていけたらいいなと思うような話。
少し気後れしそうなお店でも、どうやったら気後れしないでくつろいでお店を眺めるのかというコツなんかも書いてある。(「ニューヨークにはいい店があるなあ」)
やっぱりあてどもなく出かけた日でも、なんかちょっとした小物や文具なんかを買って帰れるととても気分がいいものだ。

「わが道はすべて古本屋に通ず」は、古本屋歩きの理想的な姿が書いてある。こんな風に歩けるようになりたいものだとつくづく思う。この本に集まられたエッセイは僕のすきなフレーズも多い。

ぼくは、つぎのような場合に、古本屋を歩きたくなる癖がある。
一 寝不足の日の正午前後。
二 ひとりぼっちで酒を飲みだしたとき。五時半から六時にかけて
三 三、四日つづいた雨上がりの日。
四 本を買った夢を思い出した瞬間
五 そして古本を調子よく買っているとき、ますます歩きたくなる。十時ごろまで。
(p111)

どれも、古本が欲しいと思ってでかけるんではなく、古本屋に行くから欲しい物が見つかる式なのだ。
欲しい物をみつけに古本屋に行くので、欲しい物があってでかけるわけではない。こういうことをしているから、家が本でいっぱいになりはじめるんだ。

「喫茶店で本を読んでいるかい」も僕のお気に入りのエッセイだ。
書斎で本を読むというのもある。喫茶店で本を読むというのもある。
でも喫茶店で本を読むというのは何か特別なことな気がしている。特に気にいった喫茶店に、本を持ち込んでさあ、じっくり本を読むぞと座り込んだ時はなんともいえない楽しさがある。
そしてコーヒーについて。

ぼくはコーヒーの知識はないけれど、飲みだしたとき、もう一杯飲んでいいと思うのに、飲み終わったとき、それだけでよくなってしまうのが、おいしいコーヒーだ。
p202

すごくうまい言い方でうなってしまう。ずばっと言い切っているのが本当にすごい。
この人のエッセイには、その対象についての面白さもあるけど、力を抜いたスイングから、強烈な快音がなるような、すてきな言葉がでてくる。街をさまよう人たちに特有の言語感覚なんだろうか。
こういう言葉のセンスとしては、金子光晴スラッガーだと思う。

こんな本を読んでいたら、何か売っているところを歩きまわりたくなるなあ。