monomadoのブログ

本を買う話とか、読んだ本の話とか。あと時々、旅行の話を。

沼正三 眠れる森の美女 娼婦たちの思い出

異嗜食的作家論

異嗜食的作家論

沼正三の本が、性愛関連の特集棚を作っている本屋があって、そこに並んでいた。
店員さんの思い入れがあって面白い棚になっていたので好感をもった。
そしてついついその本棚から、沼正三のエッセイ2冊、『性についての探求』というブルトン他、シュルレアリストが性について討論を記録した本を買ってしまう。

沼正三の本は、見かけて持っていない場合、必ず買ってしまう。というのは、すぐに絶版になって幻になってしまいそうだから。
とはいえ、『家畜人ヤプー』は有名で漫画化されたくらいだから、世間的にもそれなりの認知のある作家なのだと思ってみる。

上掲の本を立ち読みしていると、川端康成の『眠れる美女』の評論が載っていて思い出したように『眠れる美女』を買い求め、読んだ。

眠れる美女 (新潮文庫)

眠れる美女 (新潮文庫)

なぜ『眠れる美女』が読みたいと思っていたかというと、ガルシア・マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』という本の扉に『眠れる美女』が引用されていたから。
また、この本自体が、『眠れる美女』に着想を得ているとされていたことからも気になっていたこと。
何よりその扉に引用されているのが、以下なのである。

  たちの悪いいたづらはなさらないで下さいませよ、眠つて
 ゐる女の子の口に指を入れようとなさつたりすることもいけ
 ませんよ、と宿の女は江口老人に念を押した。

いいかわるいかは別にして、眠っている女の子の口に指を入れるというのは、何かすごいことのように思う。ただ直接的な性の描写(画像や動画も含めて)を超えて、この発想に驚きと興味を覚える。

『眠れる美女』は、江口老人という年老いた男が友人の紹介で特別な娼館(たぶんこの呼び方はふさわしくない)に行く話。そこでは、薬で眠らされた女の子とがおり、その娘と一晩添い寝することができる、というもの。客は、老人で安心できると太鼓判をおされた人のみを相手としており、また、その寝ている女の子に手出しすることは禁止されている。そこで江口老人は、裸で眠る若い女の子との夜の中で、裸を観察し、思いをはせる話。 
 また、ガルシア・マルケスの本も、これまた冒頭がすごくて、

  満九十歳の誕生日に、うら若き処女を狂ったように愛して、自分の
 誕生祝いにしようと考えた。

 とあり、なじみの娼館で、眠っている処女との夜をすごす話。

わが悲しき娼婦たちの思い出 (Obra de Garc〓a M〓rquez (2004))

わが悲しき娼婦たちの思い出 (Obra de Garc〓a M〓rquez (2004))

こちらも、処女の女の子は眠らされており、こちらは手出しすることは禁止されてはいないが、結局手出しすることなく、その娘への愛(恋?)が芽生え、幸せな気持ち(自転車に乗って歌うたう)、九十歳にて初恋のような葛藤をしてみたりしつつ、昔の娼婦たちの思い出をはせる話。

処女崇拝、ロリ好みといった切り口もあるだろうけど、裸で眠っている、未成熟な存在というイメージで捉えられる生の姿と、その生の姿に対面した男の姿が描かれており、
その態度、あり方を比較し考察するのも楽しそうだが、ここではこれくらいにしておこう。さらに考えてみたいことはあるが、とりあえはこれくらいにしておいて。

(今日はたくさん読んだ本についてUPしたので疲れたので)