monomadoのブログ

本を買う話とか、読んだ本の話とか。あと時々、旅行の話を。

名古屋古本屋巡り

名古屋の古本屋さんを見てまわりました。

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はじめての名古屋だったのでそもそも土地勘もありません。どれくらい歩き回ることに成るのか見当もつかないところでしたが名古屋古書組合の地図を眺めて比較的たくさん古本屋さんが並んでいる中区の古本屋さんをまわってきました。

 

以下、立ち寄ったお店の外観、感想をメモ風に記載します。

 

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 最初の一軒目。海星堂書店。交差点の角。ターゲット広めにいろいろなジャンルがある。一般書が多い目だけどサブカル関連の本が目につく。大事な一件目では小沢昭一ちくま文庫『珍奇絶倫 小沢大写真館』を購入。導きの一冊になることに期待。

 

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同じ交差点の反対側。三松堂。残念ながら開いていなかった。

 

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信号を渡ると再び海星堂。なんか支店が密集している。入って左側はアイドル、写真集が並ぶ。ポスターもぶらさがっている。お店の奥にはレジがあり、もう一段奥にも一席あってそちらでは在庫管理なのかネット販売なのかの仕事をされていた。右半分はミステリーにSFがいままで見たこともないくらいに充実。ポケミスが番号順に並んでいる棚は圧巻。もし収集している人がいるなら欠番はここにくれば埋められるのではないだろうか。早川のSFもたくさんならんでいて青い背も壮観。ペリー・ローダンシリーズもかなりたくさん並んでいた。文庫を2冊購入。

本店2階は担当者不在につき閉店。となりの南点もミリタリーや鉄道関係がすごく充実。それなりにお客さんが入っていた。

 

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少し歩いてつたや書房。奥さんが棚の整理などをされているところを入って行く。人文関連が充実。岩波のカッシーラーの『人間』がめずらしく見かけたので購入。小沢昭一ちくま文庫をまたみたのでこれは一軒目からの流れで購入する。レジ横に『なごや古本屋案内』という本がおいてったので見せてもらいながら、この界隈の古本屋さんについて聞いてみる。昔は大学があったのでこの界隈には古本屋さんが多いそうだ。ただここ最近でかなりの数の古本屋さんが店を閉めてしまっている状況とのこと。名古屋古本屋案内は売り物かと聞いたら新刊だけど一割引で売ってあげるとサービスしてくれた。カッシーラーの『人間』を買う人は本好きの人だからとのこと。うれしい話。
 
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MONDO BOOKSはビルの2階の一室。洋書専門店だけどデザイン事務所に勝手に入って行く感じだったので、ごめんくださいと挨拶しながら入る。壁一面に洋書がジャンル分けされて並んでいる。部屋の真ん中には応接用のソファがおいてあり、それが事務所にまぎれこんでしまったような気分になるが、実際事務所で店舗と兼ねているだと思う。小説でおもしろそうなもの、ジャケ買いしようと思ったけど何も買わず。
 
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古本の看板が見えた。地図には乗っていなかったけど近くまで見に行ったら看板があるだけど店舗はきれいさっぱりなくなっていた。
 
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飯島書店。和漢古書籍の硬派なお店。お店の棚は背が高い。さすがに古書籍関連は手が出ず。
 
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三進堂書店。開いてなかった。日曜休みだった。
 
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NET WORK。入り口手前がレジカウンタで奥に向かってコの字型に棚が配置されている。棚の並べ方が文庫を同じ棚に集めるのではなく横に横に伸びて行く。一番上には音楽関係の写真、アート系の本が面陳されて、その下にCDが並んでいて、その下に岩波文庫からちくま、講談社、、と文庫が並び、それが横に横に伸びて行く。この配置が珍しくて見て行くのがたのしい。ジャンルをまたいでザッピングしながら横に横に移動していくのもいいし、一段の棚を追い続けて何度も往復するものありだと思う。『なごや古本屋案内』には店主がお客さんを眺めていると楽しいと書いてあったのを読んだけど、たしかにどんな風に人がこの棚を眺めて行くのかというのも興味がひかれる。
 
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鶴園前通りの鶴の絵がJALの感じ。
 
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充実の品揃え。必要な研究書などはだいたいここにくればあると思って差し支えないと思える。2階には映画、アイドル、古いおもちゃもあった。なんだろうアイドル関連の名古屋での充実が際立つ。
 
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こちらも専門書が充実。ここまでで古本屋まわり終了。名古屋の学生はこれだけの古本屋に恵まれているのであれば、思う存分勉強がはかどること間違いないと確信しました。
あと、どの古本屋さんも僕以外のお客さんもよく出入りしていて閑散としているところが少なかったのがすごい。
 
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本でだいぶと鞄が重たかったけど、丸栄で即売会がやっていると古本屋の入り口にポスターはってあるものだから地下鉄を乗り継いで見に行く。さらに5冊。
 
かばんパンパンで重たい。充実。

せんべろ探偵が行くを読んで飲みにいきたくなる

せんべろ探偵が行く (集英社文庫)

せんべろ探偵が行く (集英社文庫)

 

 中島らもの本を最近よく読む。中学、高校生くらいによくBOOKOFFとかで買ってきて読んでいた。最近、「ガダラの豚」を読んで急に中島らもリバイバルが起こっている。中、高校生の時とはちがって、いまは飲みにいくこともできるので、お酒に絡んだ話なんかも、むかしとは違った感覚で読むようになった。せんべろという言葉はこの本で有名になったのだろうか?飲み屋でせんべろという言葉を使ったら、となりの知らないおじさんが「中島らも?」と言ってきたりするのだから、この本が有名なんだろう。

 この本は、せんべろできるお店にいく話が書かれている。けっこう行ったこともあるお店があったり、まだ見ぬわくわくするようなお店も紹介されている。お店にいって、店の人の話を聞いたり、どうでもいいようなことを、まさしく酒の席のライブ感でつづってあり、読んでいると、とにかく飲みに行きたくなる。大阪のお店なら、これから少しずつまわっていけばいい。

 大阪だけでなく、東京、横浜、名古屋、博多、そして岡山など、わざわざせんべろするために遠征もする。そして、岡山の成田屋がとても気になったので、他の目的とあわせて行ってきた。岡山に数軒あるのだけど、ホテルから近かった田町店に。

 入り口から中の様子が見えなかったけど、思い切って飛び込んでみると開店一時間もたっていないのに、ほぼ満席。一人だったのでなんとかカウンターの席に潜り込めた。

 

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せんべろ探偵にも登場したゲタの煮付け。舌平目の煮付けのことだけど、かなりでかい。一人で食べるには大きすぎると思ったけど、うまくて全然食べた。

 

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岡山の名物でもあるままかりは290円くらいだったか。とにかく安い、うまい、新鮮。

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日生でとれたらしい鯖をつかったきずし。300円。これまた安い。

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一人で飲んでいたら、となりの席のおじさん二人組に話かけられた。若く見える風体で一人で飲んでいるのが珍しかったんだろう。二人組は先輩、後輩の関係らしく、先輩のほうが、どうしてもこのお店に来たくて、後輩を連れてやってきたという話をしていた。二人とも出身は鹿児島だけど、仕事で岡山に住んでうん十年になるらしかった。こういうのも、飲み屋の楽しみであり、おじさんとの話はとてもおもしろかった。おじさんたちが先に席を立ったけど、二人でしこたま飲んで、食ってたのに6000円を切る値段で、後輩のおじさんが「まじか!」と驚嘆していた。先輩が「よい旅を、そしてよい出会いを!」とかっこいい言葉を残して去って行ったのが、妙にふさわしく感じた。

 僕もビール2杯、日本酒3合、ゲタ煮付け、きずし、ままかり、とりす(春雨と蒸した鳥をポン酢であえたもの)を飲んで、食べて2000円くらい。岡山行ったら成田屋いくべし、と呪文を唱えながらホテルに帰って行った。

 

 

 

 

ブライアン・デ・パルマ―World is yours

ブライアン・デ・パルマ―World is yours (映画秘宝COLLECTION (36))

ブライアン・デ・パルマ―World is yours (映画秘宝COLLECTION (36))

 

今日は元日の夜に仕事の電話が入って行けなかったので大阪天満宮に行ってきた。帰り道に開いていないかなと思いながら、駒鳥文庫を見にいったら開いていた。

ブライアン・デ・パルマフィルモグラフィーの本と、William Kiein's Star-spangled Allegory Abount "Crepping Freedomism"という映画のビジュアルブックを買った。後者は映画も作家もしらないけど、ポップな写真と金髪美人の写真が乗っていたので衝動買いした。

半年ほどまえに「カリートの道」を見たのをきっかけに、ブライアン・デ・パルマがやたらに気になって作品を借りた。フューリーとか借りたのにみてないけど、ファントム・オブ・パラダイスは見て、すごくおもしろかったのを覚えている。

ヒッチコック流のテクニックなんかに目が行くところで、実際そこがすごく面白いのだけど、フィルム―にイメージを焼き付けてくる感じに、しびれるし、そんなシーンは思い出すだけで、素敵!となれるのが気に入っている。カリートの道で言えば、アル・パチーノが元交際相手でストリッパーになっている女の家の鍵穴から部屋を除くと、覗いていることを、きっとしっている女が鏡の前でパサッと服を下ろすシーンに格別な音楽が差し込まれ、アル・パチーノが思わず扉をぶちやぶって部屋に入るシーンが最高に好きだ。

映画作家本を買うときには、きっとテクニックの分析なんかを読みたいと思って買っていることがおおい。キューブリックの本なんか、まずはテクニックとかに目がいってしまうし、どうやってんだというのが知りたくなる。

ブライアン・デ・パルマは、やはり計算された構図の中に物語とイメージをカンペキに当てはめてくる瞬間があって、その図に惚れ込んでしまう監督だと思う。それは、写真にはない映画でしかできない、イメージがそこにはあるから、きっと素敵なんだと思う。

テクニックをまとめた章があって、読んでてそうだった、そうだったと思うのが、キャリーの最後にプロムでブチ切れて同級生をとっちめるシーンで、スプリット・スクリーンという同時に複数画面でみせるシーンなんかが紹介されてて、これがいいんだ!もう一回見たいと思った。あと、戦艦ポチョムキンの階段のシーンを引用したアンタッチャブルの駅の銃撃戦のシーンなんか息もできないくらい緊張したのを思い出したりしていた。

 

実際、ブライアン・デ・パルマはヒットには恵まれない監督で、売上という意味では後輩とかに引けをとっているところもあって(ジョージ/ルーカスにスターウォーズを作っているときに、そんなの売れないよと助言して、大失敗という逸話がよく引用される)、たしかに一緒に映画を見に行った友達が微妙な感じで一緒に映画館を出るみたいな経験をしてしまうのだけど(僕はとっても満足している)、やっぱ、映画のなかに、これがとりたかったんでしょ!っていうすごい濃密なシーケンスを目の当たりにしたときに、いいね!といいたくなる作品を作ってくれる偉大な作家なんだと思う。

 

ミッション・インポッシブルの成功もあるけど、なかなか思うように映画をとれないんだろうけど、ぜひもっとお金をその一瞬のためにつぎ込んだような映画をとってもらいたい監督だと思いつつ、彼の他の作品もみないといけないと思う。

 

#ボディ・ダブルという映画を日曜映画劇場でやってて、主人公の妻が家帰ったら別の男と良い感じに情事に耽っているシーンで父親があわててチャンネルを変えたのを思い出した。そういえば、昔はダーティ・ハリーとかぼかしいれながらもテレビでやってたりしたなあ。

新編SF翻訳講座

新編 SF翻訳講座 (河出文庫)

新編 SF翻訳講座 (河出文庫)

 

なんとはなしに、SFを読もうと思っている。本屋にいってハヤカワのSFの文庫棚の前に立つことが多くなった。表紙がかっこいいのもあるし、タイトルがいかすものが多い。それで最近タイトルがとても気に入った『月は無慈悲な女王様』を英語の勉強だと思ってPaperbacksで買った。原題は"The Moon is a Harsh mistres"。

それで、SFの名作たちをガシガシ読んでいけばいいんだろうけど、エッセイとか軽めの本を読みたいという思いもあって、大森さんを知らないのだけれど買って読んだ。

翻訳の問題というのは、学術的な翻訳においても、文学作品の翻訳においても、そしてエンターテイメントのジャンルにおいても難しい問題である。いままでは、どちらかといえば学術的、文学的な分野での翻訳の問題、とりわけ翻訳の不可能性みたいなものを問題として思っていたけど、この本にあるエンターテイメントにおける翻訳はもっと、問題が明確化されていて、切実な問題がかかれている。

英文の翻訳における基本的なテクニック(私とか彼とか彼女とかをうまく省略するとか)が書かれているだけでなく、いかにウケるように翻訳するのかという心意気について主に書かれていると思う。

英文の翻訳する際には、日本語はとても自由度が高い言語である。なになに調で翻訳するのか。なに弁で翻訳するのか(関西弁への翻訳はSFでは時々使われる手法なんだろうか)といった選択はひとえに翻訳者の手に委ねられている。そして筆者は、作品をおもしろくできているならば、もちろん作者の意図を越えるような演出はルール違反と断った上で、冒険をすることも可なりということを実践的に説明している。

SFの翻訳においては、単語ひとつとっても、英語をカタカタに翻訳する場合や日本語に置き換えながらルビでおぎなったり(ラカンの『テレビシオン』という翻訳はひどいルビだったのを思い出しつつ)とそれだけで、味わいが異なる。『ニューロマンサー』なんかは、独特な単語を見事に日本語に置き換え独特な文体を作り上げているとその例に挙げられている。

 

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

 

生田耕作のエッセイでは、翻訳はテクニックではなく、職人技みたいなもので、いくつも経験を重ね、たくさんの勉強しないとできないもんだといったことを言っていたいのを思い出しながら(確かに生田耕作の翻訳は、他の翻訳とは一線違う読みやすさがある)、この本でも語られる、みんなが知らないSFをぜひ紹介したい、読んでもらいたいという情熱によって、成立する職業であるのだと書かれており、もっと翻訳者のことも考えて、味わって本をよまないといけないと感じた。

 

あとは、SF翻訳者の生態などが書かれていたりと楽屋裏話や、実際に翻訳者になるためには、といったとても実践的なことも書かれていて勉強になった。

 

SFの翻訳が時代とともに(作品の内容にもよるけど)時代遅れにならざるえないと書かれていたのも興味深く、たしかに技術の進歩(IT用語などが人口に膾炙したのちでは、古めかしい言葉になってしまったり)、ギャル語のような流行の言葉を使えば賞味期限が早くなるかわりに、その当時にはとてもしっくりくる翻訳ができたりと、いろいろ悩ましい問題もあるけど、その時にあわせて、なんども翻訳が繰り返されていくものであるのかと、言葉の移り変わりについて考える。

 

 

 

 

 

大阪アースダイバー

大阪アースダイバー

大阪アースダイバー

 

 中沢新一の人類学的な方法論であるアースダイバーという手法によって語られる大阪の文化的な地層。

 大阪に住むようになって、大阪の神社に初詣に行くようになって久しい。ぶらぶらすることがあると、電車でいく繁華街以外の大阪が古い文化地層の上にあり続けていることをしばしば感じるところで、そうした感覚を裏付ける話が書かれている。

 大阪はかつて大きな潟であり、そこには時間をかけて島々が中洲から発生し、都市となるに相応しい地理的な要因の上で誕生していくさまが描かれていく。

 とりわけ、最初に重要な場所は生駒山麓の河内と、上町台地だ。上町台地においては権力、政治をしめすアポロン軸がしかれ、東西に四天王寺から河内、生駒にむかっていくディオニュソス軸がまず取り出される。注目されていくのは、このディオニュソス軸から生まれる、いまの大阪の文化の読み解きになるのだろうか。

 大阪のお笑い、大阪のおばちゃん気質、そして船場の商人の気質、これはらアースダイバーによれば、大地の声を聞き知ったものが集まり、そうなっていったかのような、地理的に香り立つ根拠をもっている。

 お笑いはかつて、墓場と処刑場があった千日前から。死と笑いの近さは、私ならバタイユ的といいたくなるような、辺縁にあるものである。そして、それが墓場や処刑場であった千日前においておこったことは然るべくして起こったことであると、土地との関連で世界を読み取るしかたは、自分が漠然と感じ取っていたものを言葉にして明確化されていく快感があった。

 とりわけ、ラブホテルと墓場というテーマは、中沢によれば、日本において全国各所で見られるものであるが、とりわけ谷町九丁目の生國魂神社周辺の墓場、神社、寺の混淆した場所に顕実にあらわれている。その異様でもあるような光景に、中沢は近松門左衛門の死へと向かうカップルの姿を思い浮かべているが、僕はそれだけではないと思っている。

 ただ、このテーマに関しては、都築響一のラブホテルや、秘宝館の写真集なんかを眺めているときにも感じた、あの滑稽で、真剣で、何か穴蔵の中に逃げ込んだような安心感と同時に、ここに長くはいてはならないといった危険な感覚が、すなわち死と笑と性が混濁した世界であること、すなわちガス抜きされる前の聖なるものを感じていたのであると納得する。

 想像は続く。神社と墓場とラブホテルは、同じ種類のものであるのだと断言してもいいとすら言える。死がもつ、この感覚が、どこか大阪には常にあると思う。どこかにしゃあないという感覚があり、それは死を前にした、ある覚悟と諦めの間にあるような感覚なんだと思う。このテーマについて、いまいちど、深く考えてみたいと思い始めるきっかけとなる。自分もこの大阪から始まる郷愁のようなこの人間臭い感覚について、その感覚の謎を追いかけたいと思う。

 それは、いくつかの僕の大阪のイメージから始まるなにか怖い、そして憧れであり、なんども反復されるイメージだ。それは、マルボロの広告がかかる難波の大阪地下街であったり、大阪の昔のテレビCMであったり、百貨店の屋上であったり、味園ビルのネオンであったりするようなイメージである。

 整理できるのかわからないが、こうしたイメージの根源にあるものを調べてみることにしたいと思った。

 

 あと、これは見事という分析が、岸和田のだんじり=捕鯨船説。これはすばらしい解釈だ!と思う。

 

Shakespeare Never Did This

Shakespeare Never Did This

Shakespeare Never Did This

 

四天王寺の古本祭でみつけた本。

タイトルがかっこよくて、あいかわらずイカす。

チャールズ・ブコウスキーがヨーロッパに行った時のエッセイとその時の写真がまとめられた本。写真だけを眺めているだけども楽しい。ブコウスキーを英語で読むのは初めてだったけど、河出の『死をポケットに入れて』のようなたんたんと生理的な欲求も含めて書かれるエッセイはこちらでも健在。別に言わなくてもいいのに、昼ごろに電話で起こされて、起きてうんこした、といちいち書いてあるのがおかしい。

 

作家の旅行エッセイが好きだ。いろいろ好きだけど少しお気に入りを並べてみる。ビジュアル重視で。

澁澤龍彦のイタリア紀行 (とんぼの本)

澁澤龍彦のイタリア紀行 (とんぼの本)

 

澁澤龍彦のヨーロッパなら『滞欧日記』がくわしいが、こちらは写真つき。「ボマルツォはまだか、ボマルツォはまだか」といって言ったボマルツォの怪物の写真なんかとてもご機嫌である。

 

アトラス―迷宮のボルヘス (^Etre・エートル叢書)

アトラス―迷宮のボルヘス (^Etre・エートル叢書)

 

ボルヘスの世界旅行記。書斎(図書館?)にいるイメージだけど、気球に乗ったりとアクティブな一面が垣間見れる本。

 

もう少しならべないと感じがでない。

 

 

ハルチン

ハルチン

ハルチン

 

近所にある古本屋。きっと古本屋をたくさん回ってきた日の帰りに久しぶりによった。ON THE BOOKというそのお店はアート系、建築系などの本を中心にちょっと文具や雑貨なんかもおいた若い主人の今風のあたらしい古本屋さん。この本と金子国義の本を買ったのだけど、会計の時に主人が近く阿波座に引っ越すことになるという話を聞いた。この本にそのことは関係ない。臨死江古田ちゃんのような一人暮らしの女の子の生活がよそいきでない姿で描かれている。幻想もなく若い女の子の一人暮らしがとてもリアルに描かれているのだと思う。これを読んだ女の人は少しへこむみたいだ。こんな風にままにみえるこまごまとした女の人に日常をこの距離で書いてあるということはとてもすごいことだと思う。じっさい女の一人暮らしがこんなものと自嘲気味に描かれているのとは違い、こちらは近所にあるだろうどこかの生活がきっとおもしろものであることを教えてくれる。